建築に対する違和感


建築を長く学んでいていつも気になっていたことは、アトリエを中心として活躍している人たちしか「建築」に取って貢献しているとしか考えず、世の中の多くの建物を生み出している人たちには、何も分かってないと見下ろす空気が出来上がっていたことである。
これは「建築」イコール「アート」として扱おうとしている意思によるものだが、いつから「アート」は「普通」と分断されたのだろうか。
そのような仮想の分断によって、ある特権的に地位を与えられて来たおかげで「建築」ができて来たことがあったのかもしれないが,今、とりわけ日本においては違うと思う。
そう言った観念を作っているのは多くの人たちである。そのような人が考えうる範囲で世界が生成されている。
何かそのような観念に働きかけたいなら、まず正しい理解が必要なのである。
それに気づかないのが間違いの一つ目である。
そしてもう一つの間違いは、「アート」と「普通」の関係の誤解が原因となっている。
本来「アート」は世界をより分かりやすくする方法の一つであった。
そのため「アート」という方法を生み出すのは新しいやり方を発見した人にしかできないのである。
しかしあくまでも「アート」は「普通」のよきマニュアルという関係にある。このような間違い達によって「建築」は行き詰まっているのである。