趣向


担当したリフォームの物件が、引き渡しはまだだけど、ほとんど形が見えるようになった。
まずこれに嬉しくてたまらない。
やっと形になった。
今回はブランをいじることはできなかったけど、仕上げと建具と開口によって住宅を更新できたと思う。



玄関ホール



ダイニングキッチン



応接室


最大の特徴は、住宅の中にたくさんのシーンを盛り込んだことである。
玄関ホールはまるでオシャレな飲み屋さんにきたような上品でファンタジックな佇まいを魅せている。
応接室は、優雅で落ち着いた雰囲気を持っている。
そして一転として、ダイニングが白を基調とした活動的で、シンプルな空気を内包している。
また、現代的なものの集積としてつくられた水廻りはどことなく和風を醸し出している。


このように住宅にはコンパクトながらたくさんの物語がうごめいているのである。
これは住む人によっていろいろ変っていくだろうが、住宅のひとつの側面である。
僕は強調したいのである。
「住宅は快楽である」と。


そうなんにも合理的な精神の上で運営されることのない計画があってもいいのである。
まぁこれは言い過ぎにしろ、快楽を強く意識するのがいいように思う。


実際のところ、禁欲的につくるのは、今の人には簡単なんじゃないかな。
禁欲的につくるってのも突き抜けると快楽にいくだろうし。
まぁそれに意識的になるってのは建築史的にはバロックロココ的な流れになるかもしれない。
けっして新しいことではないけど、そういうことと向き合うのは重要だと思う、最近は。


先日研究室の打ち上げで、芸術に何を求めるかという議論になった時にもそう感じた。
現代の芸術はどちらかというと、快楽主義的ではなく、それ以前ー美術だとデュシャン以前、音楽だとケーシー以前となろうかーは快楽主義的である。
純粋にこころを揺さぶったもの勝ちというのは快楽主義的である。
そこにはもちろんいろいろなパースペクティブがないわけではないが、目的に快楽が含まれているように思うのである。
そういう意味でクラシックミュージックなどはわかりやすいと思う。
こういう議論は拡散するものだけど、何となくの実感がそこに芽生えたのである。


もっと快楽的な創造を、とアウトローなことを言ってみる。