考えたい病 女の子編


頻繁にとは言わないが、どうしても「考えたく」なる日があります。
ジャンルなどはとくに関係なく、頭をドライブさせるのが気持ちいいんです。
特にある物事に対する自分の印象を掘り下げて、自分を分析するのが好きですね。
この前のエントリーも同根でしょう。


さて今回書くのは、女の子の話です。
もう30歳になるのに「男子な」ノリです。
まぁだけどモテたいとは違います。
どんな娘が好みなのって話です。



最初に明らかにしておきますが、
現在お付き合いしている人も狙っている人もいません。
きわめてつまらない日常です。


先日ちょっと触れましたが、振られてしばらく立っているわけで、
その間にいい人はって話になるのが普通かと思います。
まぁそれなりに生活していると女の子知り合わないことはないので、
次にってなっても可笑しくありません。
でもそうなってないのが現実ですね。
理由は簡単です。
いいって思わないんです。
顔や見た感じに関してはいいなぁって思うことがあっても、
なんか人間的にピンっとこないんですよね。
僕にとってルックスはそんなに重要なことじゃない気がします。
これをいうと、「そんなことはない、十分うるさい」って声が聞こえてきそうですが。


なにか基準がないとイメージしにくいので、
僕が最大限に気に入っていた元カノに登場してもらいましょう。
彼女のどこに惹かれたのか、一言で言えれば詩人ですが、僕は凡人なので細かく振り返ります。


最初に見たのは、彼女が働いている姿でした。
男ばっかりの職場に男と並び立つように入ってきたという印象です。
そういう環境ではどこか女の人だから無理はしませんよってタイプの女性か、
権利の主張や自己顕示欲が強くなってしまい少々おっさん化している女性が多いので、
それとは違った雰囲気があり気になる存在でした。
どちらかというと仕事ができるってイメージですね。
いやうまく言えないけど、仕事の後ろに隠れるんじゃなくって、
仕事を通して自己表現をしているような感じでしょうか。
社会に取り込まれる前の人間という風に見えて、新鮮でした。


僕は「社会をどう生きようか」と「自分をどう生きようか」の違いに敏感なのだと思います。


「社会をどう生きようか」の人は、社会ありきで、もしくは会社ありきで幸せを考えます。
枠組みに積極的にハマりにいくと言えばよいかな。
ちなみに僕はこれが苦手です。
人の用意した環境で満足しなさいっていうのは、向いていないのです。
ただし結果も予測しやすいので安定しているし、なによりもわかりやすい生き方です。
一方「自分をどう生きようか」というのは、自分基準です。
社会や仕事はひとつのアウトプットに過ぎず、大事なことは大事なことでしっかり持っている、
そんな生き方です。
社会や仕事を積極的に利用している、もしくはしたい、していけるそんな人です。
どちかと言えば僕は、こういう風に考えている人が好きです。
迷う分だけ不安定で、理解を得るには時間がかかる生き方だと思いますが。


ちなみに、後者がマスコミなんかでいいイメージで取り上げられることが多いので、
それブッているひと、例えば○○女子とかは嫌いです。
自分で考えていないし、判断もしていないからです。
そういう型を目指すのは前者に所属します。
僕はいい意味で空気を読まない人がいいです。
それでいて前者のこともよく知っていて、狭間で揺れ動けるってのが理想ですね。


話は脱線したので、もとに戻します。
仕事に向かう姿勢がいいと思ったのが最初の印象でした。
まぁそれだけで、好き〜ってならないわけで、とうぜん違う魅力もあります。
彼女の持つ儚さ(はかなさ)です。
その当時は説明できなかったけど、今いうならこういいます。


別に肌が白くて繊細で消え入りそうだとかいう意味ではありません。
たぶん常に一生懸命なんだと思います。
目標に向かってストレートに努力しています。
なんかこう研ぎ澄まされた日本刀の刃先のイメージです。
その存在が美しいのです。
もちろん妖しくも危うくもあります。
僕はどちらかというと印象としてそう思われることがままあるようですが、
日本刀のような鋭い感じではなく、自分では構造用鋼材の柔らかい感じです。
なのでそういった儚さに憧れるんだと思います。


それと対局なのが前述の「社会をどういきるか」という人たちで、
鋼を粘り強くするでもなく、研いですらもなく、型に流されるのを待っているのです。
鋼材の分類だと鋳鉄ってことになりますね。
言っときますが、僕は鋳鉄も好きなんですよ。
複雑な形もできるし、なによりも一品生産に近く質感がいいですからね。
ただそういうイメージだということです。


また儚さというのは、なにか理想に向っているときの姿勢のような気がしますね。
強がっているとか、無理しているとか、一般にそういう感じ方かもしれません。
いい印象ではない気がしますね。
でも、よく考え下さい。達成できていないことを目指すって素敵なことだと思いませんか?
その過程が、「強がってたり」「無理していたり」するように見えてもその先が大事な気がします。
その言葉を言っている人はがんばっている人に僻みはありませんか?
僕も弱い心のある人間ですので、常に他人のことを賞賛できるわけではありませんが、
素敵なことを素敵と認められる心を持ちたいって思っています。


儚いものは古来より日本的な美意識の中で重要な位置をしめてきました。
桜しかり清少納言しかりです。
まぁそういった難しい話をしてもいいのですが、
ただ単に女の子の話をしたいだけなので割愛します。
そういう僕の中にある日本人らしさも作用してるよってことです。


だらだらと書いて二つのキーワードありましたね。
「自分はどう生きようか」と「儚さ」です。
そしてあとひとつはあげるとすれば「素直さ」です。


彼女はよく「あなたが○○と考えているだろうから、私は○○したい」とちょっと遠回しに話しました。
ここにはふたつ感じることがあります。
ひとつは「私はあなたのことを考えていますよ」っていいながら、自分の機転のよさをアピールしていることです。
僕もそういう言い回しを使うので、特になにも思いませんが、通常はちょっと面倒に思ってしまいます。
僕自身もそう思われているかもしれないし、現実に思われていると思うので、どうでもいい話です。
僕のせいかもしれませんし。
で、ふたつ目は「素直」だということです。
こんな面倒なこと言わずにすめばいいのに言ってしまいます。
こういうのこそ素直ってことでしょう。


もっというとたぶん本当の気持ちでは言いたいことがたくさんあるのだけど、
状況を踏まえて論理的に話すとここまで話せますという印象ですね。
論理的なところなんて、すっ飛ばして「素直な気持ち」だけ言えばいいのに、
論理的なことも「素直」に言ってしまう、そんな可愛さがあります。
なんがか言葉遊びのような気がしてきましたが、大きな違いがあります。
素直さの濃度まで伝えることで、その濃度が一定に保たれているということです。
難しくなりましたが、表も裏もあるし、言わないこともあるよって素直に話すのはいいってことです。


成立しないと思いますがただの素直じゃなくって、僕が好むのは誠意のある素直さなのです。
いろいろ混同されやすいと思って同じ内容を言い換えて何度も書いてしまいました。
誠意と素直さはセットじゃないと意味がない、本質的じゃないと伝えたかったのです。
けっこういるのですよ、大人になっても素直に話したんだから、悪くないって奴。
そんな話こそ悪い冗談じゃないかと思ってしまいます。
こういうやり取りを冗談でできるくらいな大人な人がいいですね。




こんなに長くなる予定ではなかったんだけど、かなり長くなってしまいました。
まとめに入りましょう。


「自分はどう生きるか」ってのはただの文章なので「オリジナリティ」と言い換えます。
ということで、僕が女の子に求めるのは、「オリジナリティ」と「儚さ」と「素直さ」の3点です。
こういう女の子ってなかなかいませんね。
もちろん知らないだけってのもあります。
でも珍しいじゃないでしょうか。
なので、最近は全然心が踊らない、古い表現だと、ときめかない、のです。


いい歳なので、ひさしぶりに顔あわせるとそういう話題が必ず出ますが、
ここに理由を書いたので、読んだ人はその話題を控えてもらえると幸いです。
探しはしているがお付き合いしたい人がいないということです。


ふと思ったのですが、あの3点を満たしている人って普通にいい人だよね。
男女問わず、友達になりたいよ。
なんだかんだ言って、僕はかなり人を選んでいて、心が狭い奴なんだな。


そういう僕の友達でいてくれる人たちに感謝。