身体的美


こういう言葉を思いついた。
それはもちろん装飾について考える上でのことで。
思いついただけでまだうまく消化出来ていないが、今考えていることを述べる。
建築を含めて形を構成する目標に必ず美という概念が必要となってくる。
それこそギリシャ時代の造形にさかのぼっても、日本のしがない民家でも。
それはいろいろな時代に起こってきた装飾にも言える。
装飾の発展はその装飾の持つ形式に美が認められることによって促されてきた。
そして時代が時間に進むにつれ形式に重きが置かれるようになり、美が権威の上にあぐらをかくことになった時に新しい形が生み出されてきたというざっくりとした傾向が歴史には見られる。
そしてその一番近い事例が近代芸術運動だといえる。
その時は装飾を徹底的に拒否すると言うことで新しい形に到達した。
しかし合理性に基づくことのみで形成された形はなかなか素直な美に接近出来ていないように思う。
美しいという機能が説明出来ないからだ。
そういったことが現代まで続いたきた。
歴史的にはごく最近の傾向として表層にこだわるということが起きてきた。
その表層というのは装飾の持つ大きな側面であり、現代の装飾と見なせるのではないか。
その現代の装飾にはどのような美を受け継いでいるのか?が気になる。
少なくとも形式の美というのはその形、その作られ方からいってもない。
では何か?という時に考えられるのが身体的美である。
それはリズムや肌理といった目からもたらされる快感に基づいた美である。


という感じである。
まだまだ穴があるし裏付けもない。
だけどこの線で修論書こうかと考えている。
もう少しいろんな脱線はすると思うが。
また少しずつ思いついたことを書いていく。