研究室会議前


まぁあれだ、ぜんぜんPCを触る気になれなかった。
サイトは何件かまわったくらい。
ただそれくらい。
言い訳はこのくらいにして、未だに免許センターに行ってない、タイツクです。
思ってたよりも学校が早く始まってしまったのです。
月曜日から授業を受けてます。
かったるい。
マジでメンドクサイ。
単位申請とか。
久しぶりってこともあるかもしんないけど。
それもおいておいて今日は今年度初の研究室会議がある。
本当は二回目。
一回目はサボってしまいました。
いきなり発表はないけど頭使うから若干大変なんです。
発表無いといったらウソだな。
うちの研究室が院で提供するゼミの内容を考えています。
会議じゃどうせ主導権握れない対場にあるわけで大変なんです。
それなのに・・・。
もう緊張はしないけど、しても落ちることは何にもないけど。
もうとにかくがんばります。


ちなみに今日提案する本文の転写↓


近代以降の建築は美しさを強要しない建築観になった。というよりむしろ美が創作時において第一原理ではなくなった。「この建築は美しい」という発言は「この建築は美しいと思う」という発言に取って代わられた。つまり美を保証する形式は崩壊し、美は主観的解釈のうちに追いやられてしまった。例えば専門家以外の人は美を保証する形式が確かではないと、美を評価することはなかなか出来ない状況になってしまっている。“美しい”の代用として“可愛い”や“カッコイイ”、“キレイ”という言葉で何かしらの感動を伝えようとする。“美しい”はどこに行ってしまったのだろうか?
“美しさの原理=様式”が近代の出現と同時に意味を無くし、代わりに機能を優先する原理が提出された。近代以降の建築には美の要素は含まれていないのか?少なくとも様式とセットに考えられていた美はなくなった。しかし依然としてある種の美しさを感じる建築、例えば代々木体育館や東京カテドラルなど、は存在している。
現在、実際には“美しい”がある状態であるが、それを胸を張っていえない状況にあるだけではないだろうか。少しでもその状況を打破できるように美を学習することを提案する。


全然まとまってませんね。