久しぶりにあった友人

に言った一言です。
何だか分からないけど美術/芸術の話になって、例えば何かの芸術のその良さって何?の返答に、何言っているか分からないといわれた時、返した言葉。
言葉以外のコミュニケーションなんですよ、たぶん美術や芸術ってのは。
だから伝わらないこともよくあると思います。
よく考えて下さい、同じルールの下で話されている言葉でも伝わらないこともあるのに、扱っているものやルールが全然違う美術/芸術が確実に伝わるなんておかしな話でしょう。
だから主観的に解釈すればいいのです。
多くの人、どうしても分かりやすい美術/芸術である文学作品の客観的な評価(○○賞受賞)になれているからかもしれませんが、作品の中に客観的評価を探してしまいます。
それじゃ、解説文をなぞっているに過ぎません。
それよりも自分が感じることを優先させる鑑賞方法がよいのです。
そうなると実際なにも感じないという人もいるかもしれません。
大概がそういう人だと思います。
人間が気付くのはどこかで気付きたいと思っているからなんです。
普通に疑問もなく生きている人でもそうです。
ココで意図したいのはすべての人が気付く可能性を持っているということより、気付きたいと思っていないと気付けないという側面です。
ただチャンネルが違うだけ、もしくは自分のチャンネルを変えるのが難しいだけ、そう思ったらまだまだ美術/芸術を鑑賞する価値はあると思いませんか。


と簡単に今思っている美術/芸術の鑑賞に関することを書いてみた。
ホントはもっと違う基準で観ていることもあるんだけど、うまくいえない。
今書いたのも相当混乱しているし。
うん、読みたいと思っている人は断片だと理解してくれ。
それがいい。
というか、それで。