計画と発見


ある効果を望んで計画すると望まれた効果はもちろん、それ以外の結果も発見される。
そういうことは日常よく見られることだ。
では続いて発見されたことを計画するとどうなるだろうか?
もちろん発見された結果は反映されたものができあがるだろう。
しかし同時にまた違った発見がなされるはずである。
発見する人の視点は無数にあり、いろんな価値観によって発見が起こっているのである。
そのようなことは大変魅力的であるように思う。
いろんな発見を促すものが時間的な強度が強いというものだろう。
例えばミースの作った空間やル・コルビュジエの作品のように。
ではそんな魅力を計画に持込むことはできるのであろうか?
それはココでの一番の問いである。
例を見れば、いろんな発見を促すような計画は実際にあるが、そのようなことを意図して作られたものではないということが分かる。
つまりそのような魅力を計画に持込むということは不可能であると言える。
では何によって魅力は起きているかと言えば、ひとえにその作家のセンスといわざる得ない。
何か説明できないものを盛り込んでいるというのが正しいのかもしれないが、そういうことを感じているのは間違いないと思う。
どんなにうまい説明だとしても、実際に説明されていることだけでその作品は再現されないところから、これは簡単に分かる。
しかし魅力はセンスからだけ生まれるのではない。
まさに説明されている理念によるところも多いにあるのだ。
理念はそのセンスを引き出す大きな手助けをしているということを考えれば、センス×理念=魅力という図式になる。
理念だけでもセンスだけでも魅力は生まれないということになる。
ちなみに理念は伝達可能な状態になるため真似することは、一応はできる。
近代建築運動はその可能性を生かした運動と言える。
話は元に戻るが、計画に発見を促す魅力を盛り込むことはできないが、もしそんな魅力を狙うなら計画に少なくとも理念を盛り込まなければならないことが分かる。
また魅力を感じるようにしたければ理念をコントロール下に置くのでなく暴走気味に動かすことも一つの手である。
つまり計画を放棄するように計画をするという計画の仕方のことである。
この方法は魅力を計画段階で引き出そうとしたやり方だと言える。


よって計画する上で必要なことは、魅力を盛り込むことではなく、理念を盛り込むことである。
その上でその理念をオーバードライブさせることが大切であるといえよう。