決めれない男


僕は自称しなくても、決めれない男だ。
つまり優柔不断。
いろんなことがモノ事には考慮ができることが分かってしまったということをいいわけとする、ちょっと頭を使ったことを自負しているイヤなタイプにあたると考えられる。
ただ実際、どの情報に自分として偏りを決めれないだけ。
別の言い方をすれば、自身/自信のないヤツ。
こう偏れば、あぁ批判されるっていう構造が見えているので偏らないという逃げ腰ということ。
こういう姿勢は知識をひけらかしているヤツに多い。
僕もその一人に数える人がいるかもしれない。
そういうヤツは見せかけの説得力を気に入っている。
うまくいえないが文句の付けれないことをいう。
正しそうなことをいう。
正義とかではない。
むしろ正義なんて物が飾りになった時代では、それを意図したような発言をする。
時代に敏感なヤツ、俗にいうミーハーが多いともいえる。
ちなみに僕は自称している。
そんなヤツが実はかなりいる。
社会の多くに浸透して分かってる風に振る舞ってる。
イヤな時代だ。
そうじゃない人の方が多いのだけど。
彼らの特徴として、人を割と見下げる。
この辺のところはかなり女性的かもしれない。
この発言は女性特有な思考的特徴のことを言っている。
どういう特徴かというと、それは(社会的な)ヒエラルキーをつくらないということである。
つまりエラい人っていうのがいないということ。
しかし競いはする。
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社会側に立ち上がるメッセージを個人が敏感に受け取って発するというのではなく、まさしく個人的な理由でメッセージが立ち上がっているのである。
これに違和感を抱く多くは、男性の方だと勝手思っている。
それ故、期待以上のものが得られなかったんじゃないかと思う。
今回はそれより技術的な表現力の向上が目を引いた。
僕が説明するより、なんかの文章にきっとなっているのでそっちを呼んだ方がいいので省略。
やっぱりこの映画の感想としては、「自信を持つことの重要性」である。
ハウルは本当に「決める」男になったからよかったのであり、ソフィーは自分の価値を自分で「決めた」から呪いが解けたのである。
ソフィーにはやたら愛という言葉が出てくるけど、ハウルはそんな言葉は言わない。
きっと意思の強さを自覚しているから言わないのだ。
逆にソフィーは、意志の強さを獲得するために言葉にするのだと思う。
そんな「決めた」ことが全体を貫いている。
だからハウルはカッコいい。


けっこう考えた感じで書いてみました。
しょせんメモ程度なんで飛躍等気にしないで下さい。
そういえばヒロインは結局、ナウシカから続く顔だったじゃん、性格も似ている、やっぱり宮崎監督の理想なんだろうなぁ。
木村拓哉の声、たまにテンションずれてんじゃないかぁと思うところがあったが、なかなかよかったんじゃないかな。
それより我修院達也でしょう。いい声してんなぁ。