就職活動終盤をむかえて
現時点での成績は三社ほど内定を頂いている状況である。
その一つは日本有数の住設器メーカー(大企業)の営業職。
もちろん転勤があり。
エグイこともある(聞いたところ、接待の席でフル○ンなど)。
二つめはマンション開発を中心とした業務を行っているデベロッパー。
そこの新規事業を立ち上げる部署に内定を頂いている。
勤務地は麹町。
設計事務所を対象にしたポータルサイトを事業化している。
最後の一つは業界新聞を作っている新聞社。
本社は長野(勤務地も)。
入社後はどの部署に行くか分からない。
今後動画配信に力を入れていくらしい。
そして未だに活動を続けている。
それは出版業界に限った形でである。
そしてその出版というくくりの中でも多くの人がイメージをする仕事(週刊誌や小説などを扱う等々)をベースとしているわけではないところである。
いろいろ迷っているのが現在の状況である。
受かっている企業となれば、かなり親近感が湧くような状況なっており、簡単の断るのもなんだかなぁ〜って思ってしまう。
でも何となく納得がいっていないように思う。
自分が何に熱をあげていけるかなんていまいち分かっていない。
よくいうように自分のやりたいことってなんだ状態なのかもしれない。
でもそういう状況に陥った奴に僕は言うだろう、そんなのやってみないと分かんないじゃんって。
そして続けて説明する、実際経験していないことにどうして面白い、面白くないの判断ができる?自分の想像力がそんな優秀だと思わない方がいいんじゃない、と。
オーケイ,オーケイ、そんなことは分かっているんだ、でも決定するのが怖いのさ。
そう怖いのである。
そういう自分がめんどくさい。
これを読んでいる人もめんどくさいって思うだろう。
でもこれが今の自分。
でもまぁ何とかなるよね、きっと。
若干器用で少しばかり物わかりがいいばかりにきっと苦労しているのだろう。
もう少しバカか大天才にだったらよかったのに。
マン喫で満喫
最近、よくマン喫に行く。
理由は簡単、windowsのPCを使わなければならない瞬間が多いから。
就職活動していて困るのはそういう時。
webテストの対応osがwinなんだもの。
こういう時にMacがマイノリティだということがしみじみと分かる。
自分のまわりには世間一般的な割合を遥かに超える確率でMacユーザーがいるので、ついつい勘違いしてしまいがちになる。
世間的には3%という数字が示すように100人に3人しかMacユーザーはいない。
そういうマイノリティは世間では見なかったことにされるらしい。
そういう愚痴はどうでもよくて、いやよくはないんだけど、でなにを満喫したかというと、もちろんマンガ。
そのタイトルも「編集王」。
編集者を目指す自分に何か勇気を与えてくれるのではないかと期待して手に取ってみたりした。
結果、泣けました。
感動です。
魂の叫びです。
ですので皆さんにお勧めします。
細かいことはいいません、ぜひ。
あっでも少しだけ、原作が編集者さんだったところがリアリティあります。
編集王 1 あしたのジョー (BIG SPIRITS COMICS)
- 作者: 土田世紀
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1994/07
- メディア: コミック
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あるところで
ミラクルタイプの動画を発見。
ある程度ネット環境の整った人、時間に余裕がある人、見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=6Jzy54pSgx0&search=%20cocorico
けっこうマジで惚れる。
甘く優しいけど芯があるっていう彼女のよさがよく出ていると思います。
ちなみにもう予約しちゃました。
写真集。
6月中旬発売だそうです。
楽しみです。
だって一年以上待ったんですから。
今日は小西さんが出ているCM動画落として見てました。
心がガッツリ落ち着きました。
建築に対する違和感
建築を長く学んでいていつも気になっていたことは、アトリエを中心として活躍している人たちしか「建築」に取って貢献しているとしか考えず、世の中の多くの建物を生み出している人たちには、何も分かってないと見下ろす空気が出来上がっていたことである。
これは「建築」イコール「アート」として扱おうとしている意思によるものだが、いつから「アート」は「普通」と分断されたのだろうか。
そのような仮想の分断によって、ある特権的に地位を与えられて来たおかげで「建築」ができて来たことがあったのかもしれないが,今、とりわけ日本においては違うと思う。
そう言った観念を作っているのは多くの人たちである。そのような人が考えうる範囲で世界が生成されている。
何かそのような観念に働きかけたいなら、まず正しい理解が必要なのである。
それに気づかないのが間違いの一つ目である。
そしてもう一つの間違いは、「アート」と「普通」の関係の誤解が原因となっている。
本来「アート」は世界をより分かりやすくする方法の一つであった。
そのため「アート」という方法を生み出すのは新しいやり方を発見した人にしかできないのである。
しかしあくまでも「アート」は「普通」のよきマニュアルという関係にある。このような間違い達によって「建築」は行き詰まっているのである。